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イムジン河その2 [文化]

フォークルの「イムジン河」の発売に圧力をかけた3者の思惑は次のようであったらしい。まず総連(北朝鮮)は、発売するなら、北朝鮮の曲であること、作詞・作曲者名を明記することを要求してきた。ここらは東芝も甘かったが、できない要求ではない。しかしそうすると今度は韓国のメンツがつぶれることになる。韓国は日本で大ヒットする(東芝はすでに30万枚を生産していた)可能性のある朝鮮の歌が北の歌では困るのだった。実際にこの曲は韓国ではほとんど知られていない。最後に公安は、当時盛んであった新左翼運動の象徴歌のようになることを恐れたのではないかと思われる。こうして三者三様に圧力がかかったのだが、もっとも東芝が恐れたのは韓国であった。当時日韓の貿易が急速な伸びを見せたころで、東芝グループもその潮流にのっていた。かくしてひとつの名曲がついえた。
フォークルの加藤和彦は、この楽曲の美しさを諦め切れず、イムジン河のテープを逆回転で聴いて浮かんだイメージで「悲しくてやりきれない」を作り、リリースした。この心情はイムジン河を惜しむリスナーと同じであった。曲の雰囲気をイムジン河に似せたが盗作ではない微妙なものであったが名曲である。この作詞をしたのが、大家サトウハチロー。この大家に対して非常に不遜ではあるが、この曲の詞は主観的にはとても評価できない。「悲しくて悲しくて、とてもやりきれない、このやるせないもやもやをどこかに捨てようか」。何が悲しいのか具体的イメージをひとつとしてイメージできないのだ。ある意味作詞家がやってはならない感情そのままの形容詞「悲しい」という語をちりばめるのも感心しない。
にも拘わらず、この「悲しくてやりきれない」は心に沁みた。この「イムジン河」をめぐる騒動自体が悲しくてやりきれなかったからだ。具体的イメージはそこにあった。たかが若者がギターひとつで歌う歌に、三つの国家が介入してつぶしてしまう。こんなお寒い文化社会があっていいものだろうか。ネガスミ アプテニカ。


めずらしい矢野顕子バージョンでどうぞ
http://jp.youtube.com/watch?v=zieA3n5lkJg
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