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ファンタスティック・カップル考3(脚本の深層) [人生を教える]

もしあなたが子供にチャジャメンをねだられて、食べに出かけたとする。ところがその道々、子供たちが顔見知りのおねいさんに会うと、おねいさんは、ピザをおごる、と言う。あたらしもの好きの子供は、あなたに背をむけ、おねいさんについていってしまう。気の抜けたあなたは一人でチャジャメンを食べる気も失せ、持ち帰りにして家で食べることにした。一方子供たちをひきつれたおねいさんは、今日の約束を思いだして、今度かならずおごるからね、と友人と行ってしまう。しかたなく帰宅した子供たちは、あなたにおねいさんに裏切られたからチャジャメンが食べたいと訴える。
さてあなたならどうするか。
わたしを含めて子供に甘い日本や韓国の親なら、自分を分を与えても子供に食べさせる人が多いのではないだろうか。ところがサンシルは以下のシーンのように拒否する。
これに続く場面では、チャンチョルスが珍しく本気でサンシルをなじる。子供にひもじい思いをさせて自分だけ食べる大人は最低だ、というわけである。なるほどひとつの情ではある。しかし、そこで子供がこういう。 「ぼくらがアジュマを裏切ったのだ」。 サンシルに対しては「おねいさんが裏切った」とこの子は言ったのだ。そう、ペイシン(背信)はふたつあった。ひとつはおねいさんが子供たちを裏切り、彼らを傷つけた。しかし子供もサンシルを裏切りサンシルを傷つけたのだ。子供でもなくとも自分の傷は気にしても人の痛みは分からないものだ。子供がそれに気づいたのはサンシルの「捨てたものは二度とかえらないのが人生だ」という一見冷たいことばだった。 さて、チャジャメンを捨て、ピザに乗り換えた子供に、ピザがだめだったといって、チャジャメンに戻ることは出来ないとわれわれはきちんと教えることができるだろうか。自分のチャジャメンを与え、自分の心を傷を隠し、あまつさえそれが親の愛だと思っていないだろうか。しかし、それでは子供は人生を、あるいは人の痛みを学ぶことができない。この脚本家はすみにおけない。チナッガチャジャメン タシトラウジアナ インセン クロンゴヤ

タグ:脚本
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