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三国 [歴史]

朝鮮の歴史は前・後併せて、高句麗・新羅・百済の三国時代が長かった。そのためか、現代にもその影響は残っているようだ。
韓国の選挙では出身地が大きなウエイトを持ち、出身地ではそこの票をほぼ独占できるが、他の地域での得票はほぼ見込めないと仄聞した。日本における強度びいきとはレベルが違うようだ。全羅道の人々に対しては、日本人の血が入っていると、差別めいたこともあると聞いたことがある。確かに百済と倭国との友好関係は、調べてみると私の想像以上に密接だった。
そこで誤解を恐れず、はたまた確実な根拠のないままの推論を述べるが、民主化のきっかけになった1980年の光州事件(義挙)はどうしてソウルではなく、光州という小都市で起こったのだろうか。これまで疑問にも思わなかったが、この三国時代を勘案すると、こう言えないか。光州市は全羅道にある。全羅道とは旧百済の統治地帯だ。そしてその結果、大統領に当選した金大中氏は全羅道出身だ。すなわち百済の復権・・・。
現代史の必然や経緯を無視するつもりはない。ただ根強い分国時代の影響もあるのではないかと思うのだ。
そこでさらに暴論を述べると、北朝鮮とは高句麗ではないのか。もちろん分断国家にした犯人はアメリカとソ連という超大国のエゴだが、わたしがソ連の工作員だったら、北に入ってこういう。
お前たちは由緒ある高句麗の末裔だろう。新羅や百済のような南のやつに建国させていいのか。朝鮮の歴史は高句麗の建国から実質始まったのだ。お前たちが建国しないでどうする。
という具合だ。少なくとも社会主義云々は建前にすぎないことは確実なような気がする。

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ラストサムライ [歴史]

映画「ラストサムライ」で渡辺謙演じた勝元は、勤皇のために闘い、参議という要職にありながら最後には新政府に対して反乱をおこす西郷隆盛がモデルとされている。映画にはでてこないが、この西郷が下野するきっかけは、彼の主張する征韓論が受け入れられなかったと歴史では教わる。前々からここが理解できなかった。
実はこれには異論があり、西郷は朝鮮への派兵にむしろ反対したのだという。居留民保護を理由に派兵を主張したのは、同じく参議である板垣退助らであり、西郷は派兵に反対し、自身が大使として朝鮮に赴くと主張した。つまり西郷の主張は。征韓論というより鎖国状態にあった朝鮮に開国をすすめるために自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」と言うべき考えであったとも言われている。しかし大久保利通、岩倉具視・木戸孝允らは時期尚早としてこれに反対、遣韓は実現できなかった。
後に西南の役で反旗を翻した西郷であるが、明治天皇は西郷を最後まで愛し、その死をいたく悲しみ、冠位を与え名誉回復を図っている。しかし靖国神社はいまだ西郷を合祀していない。国賊であるからだ。合祀される方が迷惑かもしれないが。
征韓論によって、西郷が韓国の宿敵のような扱いがされているなら、これも名誉回復が必要ではないだろうか。

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タグ:征韓論
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対馬藩の戦略その2 [歴史]

対馬藩は小大名で、しかも西軍に組したにも拘わらず、10万石の破格の待遇を幕府から受けている。すべてこの朝鮮貿易のためだ。日朝通商は通商使の扱いを含め、さまざまな経緯をへた。
どの回の通信使か、具体的な事実は失念したが、ある通信使の来日の際、正使が国書を直接幕府に渡すと言い出した。さあ対馬藩は困った。国書の改ざん・捏造が露見してしてしまう。とりあえず偽書はつくり、それを同行する人物にもたせ、隙を見て、本物とすりかえるように手配はしたが、正使は隙を見せない。そのまま江戸に到着し、明日将軍と謁見というところですり替えに成功した。スリルあふれる展開だったろう。ここらへんをハイライトにドラマを作ってみたい。

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タグ:柳川事件
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対馬藩の戦略 [歴史]

江戸時代、長崎出島を除いて一切の鎖国状態にあったと日本史で習うが、実は李氏朝鮮とは正式な国交があり、通商使が12回も来日しており、正使の江戸までの行列は、一般庶民が外国の文化に触れる唯一の機会として名物であったらしい。
この日朝貿易を実質担ったのが対馬藩である。対馬藩は従来から元寇もふくめて、外国、とりわけ朝鮮との関係が深い。また藩内の土地は痩せ、日朝貿易が藩財政の要であった。よって秀吉の朝鮮出兵にも反対している.
時代は江戸に変り、日朝間では慶長条約(己酉約条)が慶長14年(1609年)に締結され、国交回復が成立した。秀吉の出兵からたった12年ほどしかたっていない。対馬藩はプサンにも倭館をおいて日本の出先機関を常駐させたり、日朝貿易に対する努力と苦心が感じられる。また朝鮮側にも日本との通商が必要な事情があったのだろう。 異常なほどの早さで国交を回復している。

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部の民 [歴史]

中国からの文物の招来は、遣隋使や遣唐使という公式な国家行事であったために歴史に記録が残ったが、朝鮮からの文化の招来は無名の人たちの渡来で伝わったために歴史に記録がほとんどない。庶民の生活文化、稲作、鋳鉄、縫製などは、多くの朝鮮テクノラートによって伝えられたと推測できる。
現在日本の姓で「部」がつく名字を考えてみると、服部・海部・園部・渡部・綾部・神部などが思いあたるが、部の前の漢字は、すべて何らがの技術を示していることに気づく。これらは部の民と称されるが、おそらく朝鮮から渡来したテクノラートに由来すると考えられる。同名の地名が京都周辺に多いのも、そうした技術者集団の居住地を伝えてものではないだろうか。

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タグ:渡来人
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